死にそうに
なんとか3月がおわった。
毎日毎日10時は軽くすぎる毎日で
家に帰って来て
とりあえず ビール をあけずにはいられなくて
家では自分をとことんあまやかし
食べたいものだけ食べて
すぐ寝て
そんな3月だった。

でも 私は 壊れなかった。

ぎりぎりの所にいても
食べたり 話したり 笑ったり
人間だった。

でも 人間だったから
ぎりぎりにいたから あったかい言葉がなかなか出てこなかった。

簡単に言えるような あったかい言葉が
全然出てこなくて 絞り出てくるのは
言いたくないことばかり

あとで すっごく後悔して
悔しかった

そんなおりに
友達から連絡があって
あたしよりも もっともっと崖の縁にいて
それでもたくさん愚痴を吐いていたけれども
滅多に言わないような言葉を

いろいろと ありがとね

って言われた。

私は本当に独りよがりで
自分だけだったんだなっておもった

がんばれという言葉を言われるよりも

一緒に適当にがんばろうと

そういう言葉が言えれば
辛いのは一人じゃないし
崖から落ちないで命綱が
いつかは引っ張り上げてくれると
思いたい。

実際は
ただ3月が終わっただけで 何も終わってなくて
4月だからといって 新しいことが増えたり 切り替わったりするけれども
締め付けられている首は
緩むことはない。

隣にいる
首の紐を緩めてあげられない私が
何ができるのだろうと思う

そのまま締め付けられて吊り下げられたくない

踏み台を踏んでジュースでも飲んでやる

悔しがりやで 負けず嫌いは
何かを結びつけてくれるように

負をゼロという無の状態に戻すことはできないのなら
かけ算して プラスになればいいのに

そんなに簡単じゃないから
何かをあげたり もらったりして 解決するものでもない

流れを変える力もないなら
維持する力もない

でも 踏み台として
その首の紐がちょっと楽になればいいと思うから

せめて目に見えないものを大切に あったかくして
力になる 言葉が 届けばいいと思う。